久しぶりの「ひらかた菊人形」
久しぶりにひらかたパークの菊人形見物。ほぼ20年ぶりだろうか。何年か前、最後の菊人形と謳われていたので,もう無くなったとばかり思っていた。
かつての30場面の十分の一となっていたが、頑張って菊人形のクヲリティを維持していることにびっくりとともに感謝の気持ちで一杯になった。
私もこのひらかたの菊人形には3回関わったことがある。一度は若手宣伝課員として、京阪電車の事業の一つの菊人形の宣伝を担当した。「ひらぱー」のはるか前で、関西を代表する秋の催事として一日8万人を超えるお客様を迎えたことがあった。
その次は担当係長としてこの菊人形の企画から製作まですべてをやった。係長でありながら赴任した時は社員の中で最年少。経験豊富なスタッフの皆さんも勿論皆さん年上。非常に大変だったけれど、とても面白い経験だった。
三度目はひらかたパークの園長として。もうこの時はひらかたパークの施設も老朽化し、菊人形も時代の流れの中で今まで通りの継続が困難なときがきていた。それで、「ひらぱー」リニューアルとなり、菊人形も見直し、そして終了・・・ということになった。
実にいい顔の菊人形だ。この美しい菊人形を見ていて、今までのいろんなことを思い起こした。かつての菊人形館に朝一番で入った時の、あのむせ返るような菊の香。オープンが迫った深夜の作業現場の喧騒。オープン前夜、一人で最後の見回りをした時のあの何とも言えない感覚。そして、今だからわかる、本当に菊を愛し育てられた人々の大切さを。
この菊人形の本当の「価値」を知るには少し若すぎた・・・。
今、菊人形はこのお二人が継承してくれている。一人はかつての菊師のお手伝いとして、もう一人は菊の栽培を担当してくれていた。たぶん、かつては多くの人が担当していた仕事をこの二人でやってくれているのだろう。
次回は、かつて、どのような人々がどのような仕事を分担し、総合芸術としての「ひらかた大菊人形」が成立していたのかを紹介したい。
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