2007年01月23日
びわ湖汽船120周年 ②
先祖は湖南汽船(こちらが本家)と太湖汽船(最初はこちらのほうが大きかった)での鉄道連絡船で始まった当社も、明治22年の大津~長浜の鉄道開業により一気に衰退してしまいます。当時の太湖汽船の船は売却され、大阪~九州航路に就航したそうです。
しかし、明治27年ごろには琵琶湖観光に活路を見出し、明治43年には鉄道と連絡切符を発売して竹生島めぐりを始めています。この航路が今でも、当社の主力商品ですから・・・、いやあ、先人は偉大です。
大正11年には全長45メートル、定員1000名という、当時の日本でももっとも豪華な観光船”みどり丸”を就航させています。そして、なんとその処女航海には、当時来日中の”あの有名な”英国皇太子プリンス・オブ・ウェールズが乗船しています。

しかし、明治27年ごろには琵琶湖観光に活路を見出し、明治43年には鉄道と連絡切符を発売して竹生島めぐりを始めています。この航路が今でも、当社の主力商品ですから・・・、いやあ、先人は偉大です。
大正11年には全長45メートル、定員1000名という、当時の日本でももっとも豪華な観光船”みどり丸”を就航させています。そして、なんとその処女航海には、当時来日中の”あの有名な”英国皇太子プリンス・オブ・ウェールズが乗船しています。

Posted by 中井保 at 16:47│Comments(2)
この記事へのコメント
昨年散歩道でたまたま、立派な記念碑をみました。杉江善右衛門さん太湖汽船の設立にたいそう御尽力された方だそうですね。近くの出身と知って驚きました。そのあと湖上交通の歴史いろいろと勉強させていただきました。カテゴリーに太湖汽船を載せています、僭越ですがよろしければのぞいてください。
Posted by 吉祥 at 2007年01月23日 17:06
120周年とはスゴイ!!!
何かイベントをするのですか?
企業の栄枯盛衰は世の常なり。明治、大正、昭和、そして平成と四時代に亘り事業を保ち続けてきたことに敬服。
“創業は安し、されど守成は難し”と史記で司馬遷も書いております。記念となるようなイベントを期待しております。
ちなみに余の豊臣は二代で終わっちゃったけど・・・・・
何かイベントをするのですか?
企業の栄枯盛衰は世の常なり。明治、大正、昭和、そして平成と四時代に亘り事業を保ち続けてきたことに敬服。
“創業は安し、されど守成は難し”と史記で司馬遷も書いております。記念となるようなイベントを期待しております。
ちなみに余の豊臣は二代で終わっちゃったけど・・・・・
Posted by 木下藤吉郎 at 2007年01月23日 17:33
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