2007年02月08日
琵琶湖汽船120周年 ④
もう一度説明しますと、わが社は、湖南汽船として創業120周年ですから、
太湖汽船ではなく、湖南汽船が先祖?となります。
発足当初は太湖汽船の方がはるかに大きかったのに、なぜこうなったかを今日ご説明しましょう。
湖南汽船は、大正に入り京阪電鉄との関係を強化します。そして、竹生島、近江八景、宇治川ラインと、観光船部門を強化して、いよいよ、昭和3年には、343トンの豪華観光船「京阪丸」を就航させます。
一方、太湖汽船は「みどり丸」で頑張るも、観光船部門の不振もあり、大津電車軌道㈱(大津~石山)と湖南鉄道汽船㈱(近江八幡~八日市)と合併して、琵琶湖鉄道汽船㈱を発足させます。
いえいえ、これがまた、先祖ではないのです。
琵琶湖鉄道汽船では、大津~坂本に延伸しますが、これがつまずきのはじめ、結果、今の石・坂線部分と船舶部分を京阪電鉄に合併させました。
ところが京阪電鉄は、この船舶部分を湖南汽船に現物出資して、名前を太湖汽船株式会社に改めてしまいます。ここで、琵琶湖の湖上運航は、太湖汽船の”名”のもとに一本化されました。昭和4年のことです。
お解りになりました?
船は、湖南汽船に一本化されたのですが、名前は、太湖汽船になったのです。
で、本家は、湖南汽船というわけですが、名前は戦後まで、太湖汽船となります。
まあ、一生懸命ご説明した割には、どうでもいい話ですが・・・
見難い写真ですが、右が京阪丸、左がみどり丸です。
戦中、戦後の話は、またの機会に・・・
Posted by 中井保 at 18:48│Comments(0)
│船
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