2007年05月28日
紫式部
今日は昨日と打って変わって、視界良好です。
伊吹まで見えますから、秋や冬の空のようです。

京都新聞さんで、紫式部ゆかりの土地の連載をされていますが、今日は琵琶湖。
素晴らしい文章と写真です。
記事をお借りします。
梅雨が空けて紫式部は父の藤原為時と共に越前に向かいます。
近江の打出の浜で一泊し、船で湖西を北に向かったそうです。
打出、ですよ。
白髭神社のあたり、三尾崎に至って早くも都を懐かしみ、
三尾の海に網引く民のてまもなく 立ち居につけて都恋しも
と詠み、その歌碑が境内に建っているそうです。

紫式部が通ったとき、この鳥居はあったのでしょうか。神社の創建は、垂仁天皇の時とありますから、神社はあったようですね。
このあたりは、万葉集にも読まれていて、式部の頃でも知られていたようです。
前回、ここに来て、与謝野晶子が立ち寄ったことにすら驚いていたのですが、万葉の昔から有名だったとは・・・
伊吹まで見えますから、秋や冬の空のようです。

京都新聞さんで、紫式部ゆかりの土地の連載をされていますが、今日は琵琶湖。
素晴らしい文章と写真です。
記事をお借りします。
梅雨が空けて紫式部は父の藤原為時と共に越前に向かいます。
近江の打出の浜で一泊し、船で湖西を北に向かったそうです。
打出、ですよ。
白髭神社のあたり、三尾崎に至って早くも都を懐かしみ、
三尾の海に網引く民のてまもなく 立ち居につけて都恋しも
と詠み、その歌碑が境内に建っているそうです。

紫式部が通ったとき、この鳥居はあったのでしょうか。神社の創建は、垂仁天皇の時とありますから、神社はあったようですね。
このあたりは、万葉集にも読まれていて、式部の頃でも知られていたようです。
前回、ここに来て、与謝野晶子が立ち寄ったことにすら驚いていたのですが、万葉の昔から有名だったとは・・・
Posted by 中井保 at 18:57│Comments(0)
│びわこから
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